男性子育て日記 

二歳の女の子とゼロ歳の女の子の父親です。本や登山や趣味の話も綴っていきます

子どもが産まれてやっと一息つけた。~育休に入る直前に僕が気をつけたこと~

 4月4日に元気な女の子が産まれました。妻は無痛分娩を希望していたけど、麻酔が効く前に産まれてしまい、「痛かった・・・。せっかく無痛分娩できると思って、ここの病院にしたのに」と言っていました。僕としては、無事に生まれてきてくれたことに、元気に産んでくれたことに、妻に感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

 出産予定日は16日で、だいぶ早い出産になりました。2月末(臨月に入るころから)から、「いつ生まれてきてもおかしくないから、そのつもりでいてね」と言われ、何かあったときのことを考えて、妻のお母さんに緊急時の送迎をお願いしたり、タクシーの電話番号を調べたりしました。もちろん、職場の上司にも出産日が早くなりそうなことも伝え、同僚にも伝えました。上司の反応は「おめでとう、もうすぐだね」と祝福の気持ちと「3月の引継ぎもしっかりね」と念を押されました。

 

 子どもが産まれるとそのまま育休に入ることができますが、僕はすぐに入りませんでした。理由は二つあります。一つは、施設長の僕が年度終わり、年度始まりを抜けることによって業務に支障がでる恐れがあり、周りへのダメージが大きそうだったから。もう一つは、4月は年次有給休暇を消化することによって、4月の給料は満額欲しかったからです。

 

 育休の給付金が支給されるまでに最短で3ヵ月かかります。通常は4ヵ月と人事部から話を聞いていたので、お金の心配がありました。育休前に4ヵ月分の家賃、食費、水道光熱費、携帯電話料金を貯金しており、ちゃんと生活が成り立つことは確認していますが、それでも心配な部分がありました。なので、産まれてすぐには育休には入らず、半休(10時~14時)勤務にしました。職場からは、人手不足な状態のため、半休対応でも喜ばれました。

 

 一つ目の理由ですが、これは確かに職場にダメージはあったかと思いますが、別に僕一人がいなくなったからって職場が回らないってことにはならないと、後から実感しました。「人がいなくなったらなったで、残された人は対応する力を持っている。」「人間は頼る人がいなくなると、新しい能力を自然と身につける生き物だ」と僕は思いました。もちろん、僕が今まで育成してきた職員なので、もっと信頼してもいいはずだったんだなと思いました。

 

 引継ぎをする際に(次の施設長への引継ぎ)考えていたのは、「僕はいなくなったことによって職場環境が悪化したら、その責任は僕にある」と思っていました。次の施設長は持ち上がりではなくて、外部採用でした。そもそも会社のシステムを知らない人が登用されるので、事務仕事から実務まで伝える必要がありました。短い時間ではありましたが、私がいなくなっても困らないように、丁寧にお伝えすることを心掛けました(相手にはどう伝わっていたかはわかりませんが・・・慣れない業務に忙殺されていたので)。

 

 17日、娘を保育園に預けて、やっと育休らしい生活がスタートしました。これから、日々の出来事や気持ちの変化を綴っていきたい。